研修を求めるベトナムの若者たち

ホーチミン市のグエン・ヴァン・ラック通りにあるMai Sen Bistroは、ヨーロッパやアジアの料理を提供する、よくある「素敵なレストラン」とは違います。同店で働くスタッフは、恵まれない若者を対象とする国際標準の料理講座を無料で開く職業学校Anre Maisen Hospitality Training Centre出身の研修生です。

ドイツの二元的職業訓練システムに倣ったこのモデルは、ベトナム人のドイツ料理シェフで実業家のFrancis Nguyen Van Hoi氏がベトナムに導入したものです。

ドイツで最も成功したベトナム人の一人Hoi氏は、全国的なテレビ料理番組にゲストとしてしばしば呼ばれ、大企業が大宴会を催すときは、たびたび彼に助言が求められています。

「私は36年間ドイツで生活し、料理の腕のおかげで路頭に迷うことはありませんでした」と現在67歳のHoi氏は語っています。

1975年4月のサイゴン(現在のホーチミン市)陥落後、南(ベトナム)の激変によって、混乱と恐怖に陥ったHoi青年は母国を去る決意を固めました。

1976年1月にドイツに渡ったHoi氏は、最初はBavarianという居酒屋のセラーで働き、皿洗いやサラダづくりの仕事をして生計を立てていました。

3年後に法的資格が変わり、わずかながら蓄えができたため、料理学校に2年間通いました。料理人となったHoi氏は、ドイツ全国の企業やオフィスに食事を提供するグループのディレクターとなりました。その後、自分の料理店を持ち、ドイツのレストランにアジア料理を提供する会社を設立しました。

「ドイツの教育制度に感銘し、感謝しています。その二元的職業訓練制度の下で、研修生は会社でOJTを受け、賃金を得ながら職業学校に通います。ですから、この制度をベトナムに導入できれば、ベトナムの若者に同じようなチャンスを与えられると思ったんです」とHoi氏は語っています。

1990年に母国の土を再び踏んだ彼の心のなかで、ホスピタリティ研修センターの構想はますます膨らみ、ドイモイ(再生)政策の第一段階までに若干の変化もありました。

観光業とホスピタリティ産業は、当時はまだ発展の緒についたばかりでしたが、その豊かな文化、歴史、自然を含めて、ベトナムの観光業は大きな潜在性を秘めていました。

「ホスピタリティ産業のことをよく知っているからこそ、母国の発展に貢献したいんです。」

「なにより貧しい人たちを手助けしたい。戦争は多くのベトナム人から良い生活や明るい未来のチャンスを奪い、多くの家族や子供たちに飢えと貧困を強いました。」

「飢えや貧困がどういうものかはよく分かっています。私自身が貧しい子供でしたから。あの頃のことは今もけっして忘れません」と振り返るHoi氏。

Hoi氏は、父母と8人の兄弟姉妹がいました。彼は両親にとって初めての子供でした。Hoi氏の両親はドンナイ省南部の貧しい農家の出身でした。一家は約3,000平方メートルの痩せた農地を耕して暮らしていたそうです。

両親は知人のつてを頼ってHoi氏をサイゴンの慈善学校に通わせました。息子にもっと良い食事と勉強ができる機会を与えてやりたいとの親心からでした。

「私はいつも慈善学校、特にスロヴェニアからやって来たAnre Mai Sen司祭に感謝していました。司祭は慈愛に満ち、貧しき者を助けてくださいました」とHoi氏。

「Anre Mai Sen司祭は、私にとってお手本です。司祭は、裕福な人たちに障害者を助けるよう呼びかけました。仕事で成功を収め、より良い生活を送れるようになったら、私は貧しい人たちを助けたいと考えていました」と語るHoi氏。彼にとっては、それこそがAnre Mai Sen司祭や自分を助けてくれた人たちへのご恩に報いる方法なのだと言います。

ドイツに家族を残して2013年にベトナムに帰国したHoi氏は、非営利のホスピタリティ研修センターという彼の構想を実現しました。

「家族と遠く離れ離れで暮らしたいと思う人はいないでしょう。私の妻も息子も同じです」とHoi氏。「ですが、私は彼らにこう説明しました。30年間ドイツで生活し、私は夫として、また父として義務を果たしてきた。私が今日あるのは、多くの人たちのおかげである。今こそ直接間接にその恩義に報いるときなのだと」。

Hoi氏は家族に応援され、60歳代で母国に戻り、18歳から22歳までの恵まれない若者たちに宿泊付き研修コースを無料で提供しました。

Hoi氏の学校では、3年間の研修でホスピタリティの要領を学び、修了時にはドイツ商工会議所による試験を英語で受けます。全カリキュラムは、ドイツの高い基準に従って構成されており、研修生は外国人の教師や顧客らと意思疎通ができるように英語も学びます。それは、彼らが将来国際レベルのレストランで働くときのための準備でもあります。

2014年半ばに彼の学校に最初の研修生を迎える準備として、Hoi氏は恵まれない子供たちに研修コースがあることを知らせるため、地区や教会、パゴダ、慈善学校に案内状を出しました。街で出会ったストリート・チルドレンにも直接声をかけました。

「私の非営利センターには多くの人が懐疑的でした。特に資金面で。子供を教えるにも、彼らに研修や宿泊施設を提供するにも、外国人教師を雇うにも、レストランを借りるにも、多額の資金が必要だからです。」

Hoi氏の資力ではとてもそれらを賄いきれません。そこで彼は、ベトナム国内外で寄付を募りました。

「ベトナム人でわが子を料理人やウェイターやパン職人にしたい親はいないという声もありました。むしろ親の願いは、わが子を大学に通わせ、将来エンジニアや医者、会計士、銀行家にしたいということなんです」とHoi氏は語ります。

Mai Sen Schoolの最初のコースには36人の研修生が入校しました。彼らは2017年半ばに卒業しました。このうち10人はそのまま学校に残って働きましたが、その他の卒業生は市内のレストランやホテルに就職しました。

彼らの月給は約8〜10VNDで、新米のコックとしては比較的高いほうです。

「生徒が成長する姿を見るのは嬉しく、励みにもなります」とHoi氏は言います。

「ある卒業生がこう話してくれました。彼女は家族に嘘をついてMai Sen Schoolで学んでいたと。というのも、コックという厳しいわりに恵まれない仕事に娘が就くことを家族は望まなかったからです。しかし最初の給料をもらった日、彼女は本当のことを家族に話し、彼らの理解を得たのです」とHoi氏は語っています。

このベテランシェフは、職業学校に対する差別は残念だと言います。

「あらゆる職業は尊敬され平等にみなされるべきです」と語るHoi氏は、自分や自分の仕事がドイツのような先進国で尊敬されていることを喜んでいます。

現在21歳のPham Thi Thu Hau氏は3年前、高校卒業後にMai Sen Schoolの最初のコースを受講しました。ハノイ市第一区のホテルでウェイトレスとして働くHau氏は、3年間にわたる学業と寄宿生活は、忘れられない思い出でいっぱいだと語っています。

Hau氏は、クラスで教え、キッチンで生徒に指示するときのHoiシェフの厳しさが印象に残っているといいます。しかしながら、教室を一歩出ると、Hoi氏はとても気さくで、ユーモア感覚もありました。

Hau氏は、Mai Sen Bistroの店内が閑散とし、学校運営のための資金が乏しく、生徒も教師もコメと野菜だけを食べていた頃のことが今でも想い出されるといいます。

野菜を食べ過ぎて、胃袋が真緑になるほどだったと皆冗談を言い合っていました。

最初の3年間、学校は多くの困難に直面したようです。Hoi氏はふだん午前3時に起床し、市場に出かけます。午前5時頃から、教える者と教わる者とが協力して料理の準備に取り掛かります。テーブルを整える者もいれば、野菜を洗って刻む者もいます。最初のレッスンでは、多くの研修生が包丁の持ち方すら知らず、何の肉の切り身なのかも分かっていませんでした。

「今では事が段取りよく運ぶようになってきている」と言います。Mai Sen Schoolで学ぶ若い研修生は125人おり、彼らの寄宿費は月約4,500万VND(2,000米ドル)です。

同校で学びたいと応募してくる若者は増えていますが、全員を受け入れることができないのが現状です。寄付者からも、良質な水準の研修と生活条件を維持するため、研修生の人数を制限するよう求められています。